吉田さらさのイベントとお知らせ

寺と神社の旅研究家、吉田さらさの新刊、雑誌記事、講座、ツアー、イベントなどの情報です。

イーハトーブの異人、宮沢賢治

 

今回の旅は、花巻から一ノ関の仏像を見て回るのがメインテーマ。
しかしこのエリアは、宮沢賢治の足跡ともぴったり重なります。
賢治さんは、岩手県をイーハトーブと呼びました。
わたしがこの地方を旅するのは3度目。
以前も、ここの風景はどこか異国的だと感じたものだけれど、
今回は、夏にイギリスに旅したばかりだったせいか、はっきりとわかりました。
やはり、賢治さんが言うように、この地方はイギリスの田舎に似ているのです。

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北上川周辺の木々の様子。
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なだらかな丘陵にある縄文遺跡とストーンサークル。
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霧に包まれる刈り取りが終わった田んぼ。

カメラで切り取ってみると、どの風景も、
ちょっと日本じゃないみたいに見えませんか?

わたしがはじめて読んだ賢治さんの本は
「よたかの星」でした。
読んでいるうちにあまりに悲しくなり、
本を閉じてしまった記憶があります。
多分わたしは、よたかと自分を重ね合わせていたんだと思います。
自分はどこかほかの子と違うと感じていたから。

それは、ある面では、自負心であり、
ある面ではコンプレックスでもあり。
そういう複雑な感情が絡み合って、
わたしを「気難しい、とっつきにくい子」にしていたのでしょう。

 取材でお会いした林風舎の宮沢和樹さん(賢治さんの弟さんのお孫さん)に
そんなお話をすると、
「賢治さんの本は単なる童話ではなく、信仰していた法華経の教えに基づいたものです。大人になってから、もう一度読み返してみると、もっと深い意味がわかるかもしれませんよ」と。
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宮沢和樹さんのカフェ「林風舎」

そうですね。これから先、時間がたっぷりあるから、
昔読んで気になった本を、もう一度読み返す。
そんな過ごし方をしてみたいですね。


賢治さんの最後の仕事は、
石灰工場の営業マンでした。
一ノ関市の東山という地区は、かつて海底だったため、
石灰も採れるし、ちょっと掘ると、古生代の生物の化石も
ごろごろ出てくるということです。
賢治さんは、ここで石灰会社を興した人と
意気投合し、農業に役立つ石灰を各地に売り歩きました。
しかし、もともと結核だったため、
無理がたたって体が弱り、
そのまま寝付いて、やがてひっそりと亡くなられました。

賢治さんが生きて活動しておられたころは、
多分、それほどたくさんの人が
この偉大な先駆者の価値を理解していたわけではないと思います。
何を言っているかわからなくて、「変人」と思った人もいたでしょう。

かつて賢治さんが働いていた石灰工場の跡地には、
「石と賢治のミュージアム」という小さな博物館があります。
案内してくださった女性は、
「賢治さんは裕福な質屋の家に生まれ、自分が周囲の貧しい農民とは違うことに、生涯罪悪感を抱き、彼らのために、自分を犠牲にして尽くそうとしていたのです」と話してくれました。

では、よたかは賢治さん自身?
それはちょっと単純すぎる解釈かもしれませんが、
とりあえず、この仮説をもとに、
よたかの星を読み返してみることにします。

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